2012年2月14日火曜日

カリキュラム1 ネタ出し会


<ネタ出し会とはどういう作業か?>

紙に自分のネタのサマリー、仮見出し、取材予定先、想定読者などを書いて会議で配る。

(前回の課題)
「書きたいネタ」を3つ提案してください。
それぞれ

A 仮見出し(メイン、サブ両方)
B 予定字数
C 対象読者(性別?都会か地方在住か?年齢層は?)
D 内容のサマリー
E 取材予定先

をA4一枚にまとめてください。



みんなの前にネタを出してみる

「そういえば、こういう話がある」
「Pさんの話にQさんを加えてはどうか」
「そんな取材は成立しない」

とアイディアの投げ合いをする。
もみ合い、叩きあいをする。

会議で話が盛り上がるネタ
食いつくネタは
読者も食いつく

会議の参加者は「ファースト・リーダー」(最初の読者)である。
その反応を見れば励まされる。
自分ではおもしろいと思ったネタが意外にウケないことがわかる。

一人で考え、書くブログとの最大の違いはこの「生のディスカッションを通じた集合知」である。その形成のダイナミズムを体験してもらう。

<ヒント>
システムを描くのか
ヒューマンを描くのか
記事はだいたいこの二種類に分類できる。

<池にクジラがいるのはおかしい>

「裁判員制度の是非」「死刑制度の是非」「非正規雇用の〜」などはテーマが大きすぎる。

そういうネタを「池にクジラがいる状態」という。

そういうでかいネタは単発の雑誌記事、ブログでは字数が少なすぎて成立しない。
本が一冊書ける。

そういうでかいネタは初心者には重すぎて扱えない。

大→中→小
とその一段、二段下の小さな話に砕いていく。
大「裁判員制度は廃止すべきだ」
中「裁判員の精神的負担が重すぎる」
小「事件写真を見た裁判員のPTSDが問題になっている」

こうした「小」を何本か組み合わせて「中」に、中を組み合わせて「大」にしていく。

初心者にいきなり1000m泳げと言っても無理。
まずは10m泳ぐ、100m泳ぐことを目指す。

<最初に結論や意見が決まっていていいのか?>

よろしい。

事実で論証できていればオーケー。
記事に読者が説得される
=納得できれば記事としては成立する。
それを「ファクト・ベースド・オピニオン」という。

ただし、自分の当初の意見、結論にそぐわない事実が出てきたとき、それを謙虚に「自分の思った仮説が間違っていたのだ」と方向転換することができるかどうかが問題。事実を無視して仮説、自説に固執すると破綻する。

現実を見て結論、態度、意見を決めるという取材のあり方も、もちろんよい。


<ネタの匂いをかぎつける>

A 「そいつ、何考えてんねん」と言いたくなる人物はネタになる。
(例)事務所ふたつ構えるビジネスマンのくせに路上生活者
「何考えてんねん」を知る過程こそが取材

B 仮説を立てて試してみることが取材

ファミレス・コンビニ のマニュアルトークは方言を破壊するのではないか?


宮崎にはなぜケンタッキーがないのか
鳥の唐揚げがあちこちにあるから。

C 定義のはっきりしないものは定義する。

例)「ゆとり世代」とは?

年代でいうと 1987年生まれ以後 1998年生まれまで。

参考書籍があれば、その著者に話を聞くのは重要な一歩。
ゆとり世代=「ガンダム世代の憂鬱 ワンピース世代の反乱」
筆者にインタビューしてはどうか


D 自分が読みたいものがないから自分で調べて書く
知りたい答えがないから自分で調べてみる

E 議論、フリートークのうちにネタが膨らんでいくものは可能性がある

*自殺者=1990年台から年間3万人を切らな。自殺はなぜ減らない?

*ある受講者の故郷= 佐賀県有田市 やきものの街 バブル以降自殺者増えている

*日本の精神文化にうつは根ざしている? 
太宰治 柳美里 

*旧共産圏と日本の共通点
自殺率が高い
最近になって社会的価値が転覆した 
新興宗教が盛んである

*サブジャンルとして何か小さなネタを見つける
「うつの治療者がなぜいない」
臨床心理士はなぜ増えないのか
仕事がない
収入がない
適当な「カウンセラー」「セラピスト」横行

<違法だからといって取材してはいけないということになはらない>


そうした「事前規制」「自粛」「自己検閲」は報道によってマイナスである。
「法律が間違っているのではないか」という社会への問題提起も、報道の仕事である。
「福島第1原発から20キロ圏内への立ち入りを政府が禁止している」からといって、入って取材すらしない、という発想は危険である。読者にとってマイナス。

(烏賀陽)

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